土と人 - humus et homo

主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。(創世記 2:7)

人間のことをラテン語では「homo」と呼ぶ。これはホモセクシュアルのホモ*1ではなく、ホモサピエンスのホモだ。ラテン語はおよそ前1世紀ごろに確立されたが、その更に古い形を学術的に再構築すると、はるか昔は*dheghomと言っていたらしい。今の日本語式に音写すると「ドヘジョーム」あたりの発音であると考えられている。それはさておき、この*dheghomは派生語であり、関連語に*dhghomosがある。これはすなわちラテン語「humus」の祖先にあたり、土を意味する。

時系列としては、*dhegh-には元来、土にまつわる意味が備わっており、それに中性名詞化する-omを付けて*dheghom「土」を指す語になった。それが転用されて、土から出たモノである人間を指すようになったらしい。「土」と「人」の意味が多義的でややこしいので、更に-osを付けて*dhghomosで「土」の意味の差別化を図ったようだ。

その証拠に、ラテン語と祖先を同じくするギリシア語ではχθων (khthon) が「土」を表す。*dheghomと見比べてみよう。tとdは日本語のタとダ、kとgはカとガに当たる。ギリシア語では濁りが無くなり、順番が入れ替わっただけではないか。*2

いずれにせよ、「人」は「土」に深くまつわるものであると考えられていたらしい。これは大変な示唆に富む。なぜなら、印欧祖語を話していた人々のほかに、土から人が生まれたと考える民族があるからだ。それがヘブライ人である。

創世記

ヘブライ語は、セム語族に属し、姉妹言語としては聖刻文字に絵書かれる古代エジプト語や、イスラームの聖なる言葉アラビア語、そしてイエス=キリストが話していたとされるアラム語などが有名である。中でも旧約聖書を記したヘブライ語は、神学上非常に重要視され、ディアスポラ(民族離散)の後も欧州各国で教授されていた。

セム語族というのは、アラブ人やアラム人の祖となったとされる旧約聖書の人物セムになぞらえてつけられたもので、印欧語とは別系統と考えられている。しかしながら、聖書ではセムの弟にヤペテがおり、その子孫がアナトリア地域やギリシア圏に定住したとされる、かなり興味深い記述がある。*3

さて、その旧約聖書のいちばん初めの書。その中でも第2章7節に冒頭の言葉が載っている。

主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。(創世記 2:7)

神がアダムを創った場面である。なんだ創造神話にありがちな雑な神様じゃないか、と思う方もいるだろう。私もそう思うが、これには重要な文脈が抜けている。原文では、

וַיִּיצֶר יְהוָה אֱלֹהִים אֶת-הָאָדָם, עָפָר מִן-הָאֲדָמָה, וַיִּפַּח בְּאַפָּיו, נִשְׁמַת חַיִּים; וַיְהִי הָאָדָם, לְנֶפֶשׁ חַיָּה

となる。読めなくてもいいから、太字の語句に注目すると、אָדָם / adam が「人」を意味し、対して אֲדָמָה / adamah が「土」を意味している。すなわちこの節は、人間の起源を示すと同時に、「人」の語源的説明を与えるものである。そして、こんにち「アダム」と呼ばれる原初の人間は、ヘブライ語で「人」を表す語の音訳にすぎない。

しかし、確かに אֲדָמָה / adamah は「土」の意味があるが、同時に「赤み」の意味もあり、こちらが原義であると考えられている。語源は*dam-にあり、古のセム語では「血」という意味があったらしい。これはヘブライ語の דמא / dmaが血を意味していることからも分かる。

すなわち、土は血のような赤さをしていると言ったところか。なぜadamah「土/赤み」が「人」を表す語を生んだのか、聖書の言う通り土から生まれた存在なのか、あるいは血の通う生き物だからなのか。神のみぞ知るところである。

帰るところ

さて、ラテン語では「人」のことを homo と言うと言ったが、この同源語にhumus 「土」がある。当語において土を表すのは terra が一般的ではあるが、「土」と「地」のように共存している。英語において humus は腐葉土を指すが、土から埋葬そして死を連想させる語となり、英語には posthumous「死後」という単語もある*4

有名な humus の用例には『ガウデアムス』がある。

Gaudeamus igitur, juvenes dum sumus;
Post jucundum juventutem, Post molestam senectum,
Nos habebit humus!

大意は「若いうちに楽しもう;青春の後、老苦の末には土に囚われるのだから」となる。すなわち、人生の先には死んで土に埋められるしかないのだから、今を楽しもうというわけである。Memento MoriやCarpe Diemの精神に似たものを感じる。

何にせよ、人は死ねば土に帰る。火葬をすれば地の塵に戻り、土に埋めれば虫に食われ土に帰る。永遠の神の王国へ行く前に、私たちは木の根の国にうずもれ、自然に帰っていく。土から生まれた生まれた生物は、土に還るのが定めである。

土を離れては生きられぬ、と誰かが言っていたが、生まれる前も死んだ後も土である。人生土まみれではないか。humusの形容詞形 humilis は「低い」の意味に転じ、英語 humble「謙虚な」もこの系譜上にある。土と共に生きよというのは、土に生まれ土に死ぬ小さな存在であることを自覚し、謙虚に生きよということではないだろうか。

補足
  • 印欧祖語とセム祖語の音韻を再構成して比較し、同一語源でないかとする学説?もある。
  • 今でこそセム諸語のひとつに数えられるヘブライ語だが、聖書ではセムの兄であるハムの子、カナンの子孫こそヘブライ人であるとされている。

*1:ギリシア語 homo- は印欧祖語*sem-の末裔。原義は「同一」でラテン語に入りsingular「単一の」、あるいは英語 same「同じ」になった。synpathy「同情」などのsyn-もこれに同じ。

*2:これらの祖先の言語を印欧祖語といい、その或る時点でtkやdgのようなT-Kの子音連続が、発音難のためにK-Tに変化したと考えられている

*3:なお、言語学の首魁ウィリアム=ジョーンズは聖書を取り挙げ、インド人こそヤペテの末裔ではないかと発言している。タミル人以外の話すインド諸言語は印欧祖語の末裔でもある。

*4:しかし、死について terra の用例が無いわけでもなく、墓標に刻まれる定型句がある。

SIT TIBI TERRA LEVIS(土がその身に軽からんことを)